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ココロがすこし楽になる。

今日のシアワセは自分のココロが決める。ココロ研究家 ゆいのつぶやき。

成人した子どもを見て、親としていま思うこと。

無我夢中で子育てをやってきたけれど

知らないうちに子どもたちはもう成人となり

大人になっているという事実に愕然とします。

 

ちょうど高校生くらいのときから

私自身の高校時代と違う生き方をしている子どもたちを見て

イライラしたり

小言を言ったり

どうしたもんかと頭を抱えてきたけれど

 

あるときふと、人から言われたひとことに

頭を殴られたような衝撃を受けました。

 

「あなたは、親の言うことを聞いて

親の望む人生を歩いてきたけれど

あなたの子どもは、あなたとは違う。

あなたとは違う人生を生きる

別人格の1人の人間なんだから。

今日からもう、口に出す言葉は、

子どもをほめる言葉だけでいい。

あとは、何も言わなくていい。」

 

って。

 

え、まじで。

 

私は、確かに

親の言うとおりにしてきたし、

言うとおりとはいわないまでも

枠からはみ出ることは絶対にできなかったんですね。

親が言うとおりに勉強してきたし、

でも、

かといって親は私をしばるのでなく

私の好きな道を進めばよいと

そして好きな場所に行けばよいと

そこは尊重してもらっていたことがわかっていたから。

そして、今になって、親の言う枠からはずれなかったことと

自分の道を尊重してもらったことに

感謝しているから。

それがあっての今の自分だと思うから。

 

それが親の役割だと

そのときまで信じて疑わなかったけど

 

でもそれは

「私」の経験であって

「私の息子」や

「私の娘」の経験

ではない。

という事実に気づいて

本当に、衝撃でした。

 

そうか、私は、

手を離さなくちゃいけないんだと。

「枠」を私が提示するんじゃなくて

彼らが彼らの力で

自分の道をちゃんと歩んでいける

選んでいける

その力があることを信じることが

 

私とは別人格のこどもを持つ

親としての私の役割なのだと。

 

そこから私は、

子どもに対する干渉を一切やめて

どんなに私がまゆをひそめる

行動であろうが言葉であろうが

基本的に否定することはなく

 

ただ、思うように生きよと、

好きなように生きよと、

 

とはいえそんなできた人間じゃないから

横でみながらイライラしたり

機嫌が悪くなったり

いろんな気持ちを抱えながらも

 

ただ、口出しも手出しもせずに

 

横で

見て、

きたのでした。

 

子どもたちは、私が歩んできたような道は歩むことなく

楽しい楽しい高校時代を過ごしました。

遊びほうけて

留年ギリギリで

そして大学受験がうまくいかずに

2人とも浪人して

 

それでも希望の大学には入れずに

そして

今、いろんな思いを持ちながら

今日を生きている、のです。

 

彼らがどう思っているのか

どう考えているのか、

知らないけれど

 

これが私の子育てです。

もはや、子どもが成人したら

「子育て」とは言いませんがね。

 

結局、世の中には

「正解」がなくて。

これでよかったのか死ぬまでたぶんわからない。

 

でも、彼らは

「なんでも好きなようにさせてくれてありがとう」

と、

私の誕生日にメッセージをくれたのです。

 

なんかもうそれだけでえっか、って。

そう思えたのです。

まだまだ彼らの人生これからですけど。

 

ここの難関大学行ってるのよ

ここに就職決まってるのよ

こんなクラブを頑張ってるのよ

こんなやりたい夢があるのよ

そんなことを言いたかった自分に気づいて

でもそれはいいねん、

否定しなくてもいいねん、

ああ、私はそうだったんだなって

そうわかるだけで、

それでいいねん、て。

 

いま、そんなことは一言も言う気もなければ

言う材料もないけれど

 

ただ、ここに

彼らが生きて、

笑って、

目の前で話をしている。

楽しいこともしんどいことも

いろいろ抱えてるやろうけど

そんななか、この世に生きている。

 

もう、それでええやんかって

親として一番幸せなんは

それなんちゃうんかなって

 

いま、そんなことを思うのです。

 

親ってほんと、

いつまでたっても

複雑怪奇な生き物です、ね。