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ココロがすこし楽になる。

今日のシアワセは自分のココロが決める。ココロ研究家 ゆいのつぶやき。

イメージのやりかた

なぜこんなことが起こるんだ!?

なぜこんなにうまくいかないんだ!?

 

って思うこと、

ありますけど、

実は、このイメトレの仕組みでいくと

 

「すべて自分が思ったとおりの現実を

自分が作り上げているのだ」

 

ということが、いえます。

 

顕在意識はわずか5%で

残り95%は潜在意識だと言われます。

つまり、顕在意識では

こんなことイメージしてるつもりなくても

実は潜在意識ではしっかりとイメージている、

ってことはよくあります。

 

「こうなりたくない~!」が

そのひとつです。

 

「どうなりたいの?」で

「やせたい!」ってのはよくあることですが

「どんなふうに?」と聞かれると

なかなか答えにくいこと、多いです。

でも、

「どんなふうになるのがいやなん?」と聞くと

「いや~もうおなかぶよぶよで~

身体が重くて、下半身デブで

二の腕もぷるぷるで・・

そんなふうには絶対なりたくない~!」って

 

「なりたくない」イメージは

やたら具体的かつイメージ鮮明(笑)。

 

脳は、「いい」「悪い」の区別がつかないので、

そういう具体的なイメージをしたなら

全力でそのイメージ通りにしようと

そのイメージを現実にしようと

そのイメージを見せようと必死になる、というわけです。

 

だから、本当に実現したい夢が

こうなりたい、があるのなら、

 

そっちを

より具体的かつ鮮明に

イメージするのがよいのです。

 

それは、視覚・聴覚・触覚、

すべての感覚を使って、です。

 

「やせたい!」じゃなくて

どんなふうにやせたいのか、

そしてやせた自分をイメージしたとき

自分はどんな服を着て

どんな人とどんな話をして

どんなところにいて

何を感じているのか。

何が見えて

何が聞こえて

どんな風がふいていて

どんなことを思っているのか。

 

「実際にやせた」というときのことを

思い浮かべるのです。

 

羽生くんも池江選手も

イメージトレーニングをしたら

もう、どこをどんなふうに歩くとか、

どう振り返ってどういう点数を見るのだとか

どこで誰がどんなふうに声をかけてくれるのだとか

 

そこまでを細かく「具体的に」

イメージするのだそうです、よね。

 

このイメトレを学んでから

こういうひとたちのインタビューを聞いて、

ああ、ここでも、

おお、やっぱり、

ってことが

すっごく多かったです。

 

できないかも、

とか、

できるかも、

とか、

そんなことは頭になくて

「できた」ときのイメージ。

「できたのだ」というときの

「完了」のイメージをするんですね。

 

これが本当のイメージトレーニングなのです。

 

そうすることで

イメージどおりの現実が

必ずややってくる。

 

もうほんまに、

心から

信じ切る、

ということが大事です。

 

絶対できる。

できている。

できたことにありがとう。

 

これです。

泣けてくるほどに

現実となることをイメージする。

ひとことでいうけど

なかなここにいきつくまでが

山あり谷あり(笑)。

イメトレの道はなかなかなのですけど

でもおそらく、

習慣と経験、

つまり、「実行」。

それが肝なのだろうなと思っています。

なにごとも、

頭でわかっていても

「実践」するひとの少ないこと!

 

その数少ない人の中に

私の娘もいます。

娘のイメトレについて

また書いてみたいと思います。

 

思うことが現実になっていく、その仕組み。

イメージトレーニングのお話しましたけど、

どういうことかっていうその仕組み。

すこしお話ししてみます。

 

たとえば、私が妊娠しているとき、

街で妊婦さんがめちゃくちゃ目についたことを覚えています。

妊婦さんって

普段全然見たことなかったけど

こんなにたくさんいてはったんか、って

 

これは例えば、

トヨタのあの車種が欲しいな」と思ってるときにも似ています。

そう思い始めたころから

トヨタの「あの車種」をめちゃくちゃ見るようになります。

 

つまり、私たちは、

自分の目で

目の前に起こる出来事や

見ているものを全部見ているつもりでいるけれど

実は見ているのは「脳」であり

「目」で全部見ているなどありえないのです。

 

たとえば、心理学の実験でこういうものがあります。

バスケをしている人たちの映像があって

「このひと」がバスケのボールに何度タッチするかを

よく見ていてください、

と、一定時間の映像を見せたら

みんな必死で、そのひとが何度ボールにタッチするかを数えます。

つまり、「そのひと」と「ボール」を

穴が開くくらいに必死に見るわけです。

 

その映像が終わったあとに

「このバスケの試合の途中に

あるひとが、ふつうに歩いて横切りましたよね?

どんなひとでしたか?」

と聞くと、

だーれもその「ふつうに歩いて横切ったひと」の姿は見ていない。

見えていないのです。

つまり、「脳」が「見て」いない。

あとで映像をもう一度見てみると、

一番手前に

めちゃくちゃ大きい人影が横切っているのが見えて

みんなびっくりするんです。

 

こんなにもどまんなかを横切る人がいたのにこれが見えていなかったのか私?って。

 

つまり、

人間は

「自分が見ようと思っているものだけ」を見ているのだ、

という事実があります。

 

普段も、

なにもかも見ているようでも

実は何も見ていない。

「自分が見たいもの」だけを見ているんです、ね。

 

だから、

「うまくいかない」「うまくいかない」と思っているひとは

「うまくいかなかった」ものだけに注目している。

「運がいい」「運がいい」と思っているひとは

「運がいい」と思えるものだけに注目している。

 

ただ。それだけのことなんです。

 

つまり、

運がいい、も、運が悪い、も、幸せ、も、不幸せ、も

全部、自分が思ったとおりのものを見ているだけ、

つまり、

自分が決めている。

 

自分が決めたことが現実化している

そのものだけを見ている。

 

と、そういうことなんですね~。

 

わかりますか?

つまり。

イメージしたことが現実化する。

 

それは、

イメージしたことだけが自分に「見える」ので

強くイメージするとよりそれだけが「見えて」

現実に起こりやすくなる方向に

自分でもってくことができる、

ということなのです。

 

なにも不思議なものの力でもなく

他人の力でもなく

 

全部

「自分」の力です。

 

人間って、

実は

本当に、

すごい。

すごい力を持ち合わせいるんです。

 

それがイメージトレーニングの根幹、

ひとのこころの仕組みです。

 

さあ、今日は、あなたは

何に注目しますか?

どんな自分だと

自分に思い込ませますか?

 

それが現実化するなら

あなたはどうしたい?

 

それを思って

今日1日を過ごしてみてください。

イメージトレーニングってどういうこと。

やりたいことがあるとき。

夢があるとき。

 

羽生くんもイチロー

池江選手も

一流アスリートたちがみんなやってきたこと。

 

それはイメージトレーニングです。

 

私はアスリートでもなく

スポーツ選手でもなかったけど

 

「思ったこと現実化する」

 

という仕組みが

本当にあることを知り

 

これはすごいことやんか!!!!

 

私の知らない世界やんか!!!

 

と思って

イメージトレーニングを学びに行きました。

 

こりゃもうびっくり。

そこにはすごい世界がありました。

 

これを知らずに生きてきたのかと思うと愕然としたし

これを知らずに死ななくてよかったと

本気で思いました。

 

あるんです、本当に。

 

想像したこと、

本気で思い描いたことは

現実になる、という事実。

 

それは決して

スピリチュアルでも不思議でも

なんでもなくって

心理学的な観点からも

説明できる事実。

 

「見ているところがどこなのか」

「注目しているところがどこなのか」

 

ということだけなのです。

 

あかんよなぁと思っていれば

あかんよなぁと思うところばかりが自分に見えて

そっちにいってしまう。

 

できるよなぁと思っていれば

できるやんなと思ところばかりが自分に見えて

できる現実が必ずやってくる。

 

必ずや説明できることだったのです、

いやほんと。

 

これは、アスリートじゃなくても

受験生じゃなくても

アラフィフのおばちゃんにとっても

誰にとっても

人生を変えることができる

すごい事実だったのです。

 

まず、想像してみましょう。

自分のなりたい姿を。

自分がやりたいことを。

そう、それだけでいいんです。

 

成人した子どもを見て、親としていま思うこと。

無我夢中で子育てをやってきたけれど

知らないうちに子どもたちはもう成人となり

大人になっているという事実に愕然とします。

 

ちょうど高校生くらいのときから

私自身の高校時代と違う生き方をしている子どもたちを見て

イライラしたり

小言を言ったり

どうしたもんかと頭を抱えてきたけれど

 

あるときふと、人から言われたひとことに

頭を殴られたような衝撃を受けました。

 

「あなたは、親の言うことを聞いて

親の望む人生を歩いてきたけれど

あなたの子どもは、あなたとは違う。

あなたとは違う人生を生きる

別人格の1人の人間なんだから。

今日からもう、口に出す言葉は、

子どもをほめる言葉だけでいい。

あとは、何も言わなくていい。」

 

って。

 

え、まじで。

 

私は、確かに

親の言うとおりにしてきたし、

言うとおりとはいわないまでも

枠からはみ出ることは絶対にできなかったんですね。

親が言うとおりに勉強してきたし、

でも、

かといって親は私をしばるのでなく

私の好きな道を進めばよいと

そして好きな場所に行けばよいと

そこは尊重してもらっていたことがわかっていたから。

そして、今になって、親の言う枠からはずれなかったことと

自分の道を尊重してもらったことに

感謝しているから。

それがあっての今の自分だと思うから。

 

それが親の役割だと

そのときまで信じて疑わなかったけど

 

でもそれは

「私」の経験であって

「私の息子」や

「私の娘」の経験

ではない。

という事実に気づいて

本当に、衝撃でした。

 

そうか、私は、

手を離さなくちゃいけないんだと。

「枠」を私が提示するんじゃなくて

彼らが彼らの力で

自分の道をちゃんと歩んでいける

選んでいける

その力があることを信じることが

 

私とは別人格のこどもを持つ

親としての私の役割なのだと。

 

そこから私は、

子どもに対する干渉を一切やめて

どんなに私がまゆをひそめる

行動であろうが言葉であろうが

基本的に否定することはなく

 

ただ、思うように生きよと、

好きなように生きよと、

 

とはいえそんなできた人間じゃないから

横でみながらイライラしたり

機嫌が悪くなったり

いろんな気持ちを抱えながらも

 

ただ、口出しも手出しもせずに

 

横で

見て、

きたのでした。

 

子どもたちは、私が歩んできたような道は歩むことなく

楽しい楽しい高校時代を過ごしました。

遊びほうけて

留年ギリギリで

そして大学受験がうまくいかずに

2人とも浪人して

 

それでも希望の大学には入れずに

そして

今、いろんな思いを持ちながら

今日を生きている、のです。

 

彼らがどう思っているのか

どう考えているのか、

知らないけれど

 

これが私の子育てです。

もはや、子どもが成人したら

「子育て」とは言いませんがね。

 

結局、世の中には

「正解」がなくて。

これでよかったのか死ぬまでたぶんわからない。

 

でも、彼らは

「なんでも好きなようにさせてくれてありがとう」

と、

私の誕生日にメッセージをくれたのです。

 

なんかもうそれだけでえっか、って。

そう思えたのです。

まだまだ彼らの人生これからですけど。

 

ここの難関大学行ってるのよ

ここに就職決まってるのよ

こんなクラブを頑張ってるのよ

こんなやりたい夢があるのよ

そんなことを言いたかった自分に気づいて

でもそれはいいねん、

否定しなくてもいいねん、

ああ、私はそうだったんだなって

そうわかるだけで、

それでいいねん、て。

 

いま、そんなことは一言も言う気もなければ

言う材料もないけれど

 

ただ、ここに

彼らが生きて、

笑って、

目の前で話をしている。

楽しいこともしんどいことも

いろいろ抱えてるやろうけど

そんななか、この世に生きている。

 

もう、それでええやんかって

親として一番幸せなんは

それなんちゃうんかなって

 

いま、そんなことを思うのです。

 

親ってほんと、

いつまでたっても

複雑怪奇な生き物です、ね。

 

 

 

 

 

ココロが疲れてきたなと感じたとき。

生きているといろんなことがあります。

しんどかったり

つらかったり

泣きたかったり

叫びたかったり

 

そんなとき、いったいどうすれば救われるのか?

いったいどうすればこのトンネルから抜け出せるのか?

誰かに教えてもらいたい。

いったい正解は何なのか?

私はどうすればよかったのか?

 

いろんな方法で

もがいてきたけれど

 

結局のところ、

やっぱり、

他人じゃなくて

結局は

自分。

 

自分がなんとかするしかないし

逆に言うと自分しかなんとかできない。

 

ってことにようやく気付きました。

 

暗いトンネルから抜けようとしなくてもよい。

 

ちょっと座ってお茶を飲んでみる。

とか、

いつもよりちょっと長くお風呂に入ってみる。

とか、

無意味にちょっと笑ってみる。

とか、

棚ひとつぶんだけ片づけてみる。

とか、

 

本当に、そんなことで

少しキモチは楽になる。

 

何が大事って

不安や心配や妄想や

それを「考えている」よりも

「動いてみる」ということ。

 

「行動してみる」ということ。

 

それは、大きなことじゃなくてよくって

顔の筋肉を動かすだけでもいい。

ココロからじゃなくて

形だけでも

笑顔になってみる、ということだけでもいい。

 

結局

「動く」ということが自分を救うことになる。

 

ということに、

最近また気づきました。

 

楽しいから笑顔になるんじゃなくて

笑顔を作るから楽しくなる。

 

んです、ね。

知らんかったでしょ?

私は、知りませんでした。