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ココロがすこし楽になる。

今日のシアワセは自分のココロが決める。ココロ研究家 ゆいのつぶやき。

世の中にたったひとり、取り残されてしまった孤独感の中で。

世の中に

たったひとりで

ぽつんと取り残されたような

 

だれからも気づいてもらえない

「わたし」という存在があるような

 

そんな気持ちになったことがあります。

 

信頼していたものが

足元からくずれて

いったい何の上に私は立っていたのか?

 

と思うこと。

 

とてもじゃないけれど

前のようには戻れないし

この大きな空虚な穴を埋めるものが

果たしてこのあと出てくるのだろうかと

 

とてつもない孤独感にさいなまれる夜があります。

 

そんなときは、

「おちこんでないで」

とか

「がんばらなくちゃ」

とか

「いやいや落ち込むとどんどん悪いほうにいくんやから」

とか

 

否定しなくたっていい。

 

実は否定すればするほど

そっちの方向にいくという

驚きの事実があったりします。

 

「こうならないように」

「こうなるのがこわい」

「こうなることがいや」

 

と思えば思うほど

 

「いや」なことや「こわい」ことや

「そうなりたくない」ことを

具体的かつ強力にイメージしているということ。

 

イメージトレーニングをしている、

ということ、なんですね。

 

だから

 

「ああ、いま私はこう感じているんだなぁ」

「これがこわいんだなぁ」

 

ただ、ありのままに

それを

認めてあげる、

というだけでいい。

 

自分自身を

自分の目の前の椅子に座らせて

自分自身の話を

まるで友達の話を聞くかのように

聞いてあげる、

ということ。

 

それが

「自分を大切にする」

ということなのかもしれません。

 

自分が落ち込んでいるときって

自分を大事にしているようで

実は全然そうじゃなくて

 

自分がどんどん自分を追い込んでいたりする。

 

だから、

「他人」の目線で

「自分」を見てあげることが

ひとつ、大事なことな気がします。

 

そうなんやなって

なにがこわいんやろなって

一緒に考えてみたり

 

その気持ちを否定せんでいいよって

そりゃこわいよねって

 

自分を抱きしめてあげる気持ち。

 

世界中から

どんだけ取り残されて

どんだけひとりにされたとしても

 

自分だけは自分をちゃんと見ていて

自分だけは自分をわかっていて

 

だから私は

実はひとりじゃない。

 

でもやっぱり

そんな夜があるから

まわりのやさしさや

なんでもないひとことや

すれちがいざまの笑顔や

 

そんなものの

生きているということのすごさを

 

たぶんひとよりずっと感じられる。

 

 

そして、その気持ちは

 

必ず

時間が癒してくれるという事実。

 

それを繰り返して

誰もが生きているという事実。

 

に気づくんです。

 

そう今日もあそこで

明日もここで

 

生きていくということのすごさ、

 

なにものかにならなくとも

ただ、そこで息をして

生きているのだというすごさを

 

気づけることの幸せよ。

 

世界にたったひとり取り残されても

私たちは

昨日と同じように今日を生きていく。

 

時間が必ず

そんな苦しみを

彩りに変えていくんです、ね。